【解説】作家は経験したことしか書けない? | 正しくは「知らないことは描けない」
SNSで話題になった議論の1つ
どの投稿が発端なのかは分かりませんが、
作家は経験したことしか書けない
なる議論が物議を醸したことがあります。
コレに関しては、
間違っちゃいないけど100%の是とも言えない
というのが僕個人の見解です。
もっと言うと、
作家は「知らないこと」を立体的に描くことは難しい
と、思っていますね。
百聞は一見にしかず。
ですが、
① 高度情報化社会の中で百聞は精度が低いと言えるのか
② 高度情報化社会の弊害で一見が正しい現実とも言い切れない
③ フィクション(百聞)とノンフィクション(一見)の融合が起こっている??
こんな感じの肌感を僕は持っていますよ。
個人的見解を順番に解説していきますね。
雑談感覚でご覧下さい。
百聞は精度が低いと言えるのか
ここで言う「百聞」とはつまりネットで見聞きした情報だと解釈して下さい。
今の時代は知ろうと思えば何処まで情報を探れる時代ですからね。
ココを百聞と解釈するのは間違いではないでしょう。
さて、
百聞(ネットの情報)は精度が低いと言えるのか??
という点ですが――コレって実は受け手(自身)の処理の問題だったりするんですよね。
要は「ネットが上手く使えていますか??」というお話。
SNS上で転がっている情報をソースも記事本文もしっかり探さずタイトルだけ鵜呑みにする。
みたいなケースで、
ネットは正確性に欠けるじゃないか!!
と、言われても
ソレは受け手であるご自身がしっかり取捨選択していないことが問題です
という返答を僕は渡します。
1つの情報を得る為に(特に)僕たち作家は
① ソースの正確性(情報元 / 信憑性の判断)
② 情報の内容自体の是非
③ 同一テーマの内容を扱う情報を最低でも5,6つは見比べること
という作業を怠ってはいけないのです。
(僕自身もブログで情報を扱う際には自身で既に知っている情報でも裏取りをキチッと行っていますからね)
こうすることである程度は精度の高い情報を入手することが可能です。
要するに、
百聞(ネットの情報)は取捨選択して活用すれば一見に届く
コレが僕の結論ですね。
上手く活用すれば一度の経験(一見)に匹敵する強さを持っています。
知るという行為は極めて強い武器となる。
百聞(ネットの情報)もバカにはできないものですよ。
一見が正しい現実とも言い切れない
コレに関しては賛否があるかな~っと思うのですが側面としてはありますよね。
この「一見が正しい現実ではない??」という根拠としては以下のような話があります。
① 実際に体験した事実が意図を持って操作されたモノだった
② 体験に使われた題材自体が元はフィクションから派生したものだった
③ 体験に至るまでに正確な意図が歪んで伝わってしまった
コレって(悪意の有無は別として)本当に在ることなのですよ。
意図せず無意識のままそうなっていることもありますね。
1つの例として「世界的に有名なロックバンド」というテーマを持ってきましょうか。
(完全なるフィクションですので特に他意はありません)
ソレを一連の流れとして具体的にストーリー化してみますね。
こんな感じっ。
① 世界的に有名なロックバンドのコピーバンドが来日ライブをしていた
② 一般人には違いは分からない / なんか凄そうと言った感じ
③ ゲリラ的な無料ライブで場はとても盛り上がった
④ 「○○のライブは良かった!!」とSNSで話題に
⑤ 本家のファンが困惑する
⑥ SNSの一部界隈で炎上騒動に
コレってゲリラライブを聴いていた一見(聴衆)の方々にとっては真実なんですよね。
ライブを楽しんだ(良かったという感情)も嘘ではないですし。
ライブをしていたバンドがコピーバンドだったという事実を知らなかっただけ。
臨場感を楽しんだ。
感動した。
経験をした。
ただし、一見の前提自体がそもそも間違っていた(本家ではなかった)
経験した初動の時点でズレているという可能性も否定はできない。
コレが一見(体験)が必ずしも正しい現実とは言い切れない根拠です。
そもそも経験が正しいのか――という前提の部分ですね。
同じことは百聞(ネットの情報)にも言えますよ。
なので、どっちも扱いは慎重にということなのです。
フィクション(百聞)とノンフィクション(一見)の融合が起こっている??
総合して、
① 『百聞は一見にしかず』は必ずしもそうか??
② 百聞は一見に勝るとも劣らない
③ 一見が前提からズレている可能性も否定できない
という結論が僕の中にあります。
そして、
今の時代は百聞と一見の両方が入り交じった世界になっている
と、僕は強く思います。
SNS等を始めとした高度情報化社会が生活の一部となったことがきっかけでしょうか?
フィクションとノンフィクションの境目がなくなっている。
そういった意味で、
もはや旧来の「経験したことしか書けない」は通用しない
と、僕は思っていますね。
安心して下さい。
今の時代の中でなら「経験したことがない世界」も「知る」ことで描くことが可能です。
知る方法もネットを活用するだけで十分な場合もありますね。
そもそもですよ。
我々、Web小説界隈の人間たちが異世界転生を経験しているのか??
です。
異世界に転生したことのある作家さんは存在しませんよね(しないよね……?笑)
この記事を読んでいる方にもしも、
作家は知識も経験も豊富でなきゃダメなのかな……??
という方が居た場合でも「安心して」と僕は言いましょう。
大まかな軸として、
① 手持ちの知識や経験は豊富な方が役に立つ場面は多い
② 後付けの知識で補うこともできる
③ 経験自体も後から補うことは可能である
このスキルを覚えておくと気が楽だと思いますよ。
現在進行形の知識や経験が不足していたって別に問題ではありません。
一生懸命に正しい情報をネットで探す。
ソースを確認して複数のデータを照らし合わせて信憑性と正確性を高めていく。
そうして積み上げた百聞(知識)は一見(経験)に匹敵すると思います。
是非、参考にしてみて下さいね。
まとめ
いかがでしょうか?
今回は「作家は経験したことしか書けない?」というテーマで記事を書いてみました。
僕の結論として、
・『百聞は一見にしかず』は必ずしもそうとは言い切れない
・経験はアドバンテージという意味で有意義である
・正しく付けた知識(ネット)でも十分に作家として立ち回れる
という感じでした。
迷った時は思い出してみましょう。
作家の皆様が作品内と同じ経験をしていると思いますか??
こう考えると少しは気が楽になると思います。
(リアリティという意味での初動のアドバンテージは確実にありますけどね)
楽しみながら全力で創作をしてみて下さいな。
ご精読ありがとうございましたっ。
ではでは~!!