【解説】地の文についてどう思う? | 地の文が持つ重要性と必要性 | 説明に終始するのはNGです
地の文ってなに?
小説における地の文とは会話文や台詞以外の文章を指します。
僕はふと空を見上げる。
「今日も月が綺麗だな――。そうは思わないかい?」
その場所に居るはずもない彼女に向けて、明確に、言葉を落とした。
『そうね。今日も月が綺麗だわ』
幻聴だろう。
そんな言葉が僕の耳朶を打った。
このサンプルの場合で言えば「」『』内の文章以外が地の文になりますね。
地の文の役割としては
・状況説明
・心情
・風景
・五感
・過去
こういった会話の部分だけでは表現出来ない箇所を補足する意味合いがあります。
会話だけの小説――書籍が存在しない訳ではありません(対話篇等々)
ですが、基本的に小説では会話文+地の文という作品が中心です。
地の文が邪魔と言われる??
小説というものについてどう感じるかは人によって様々だと思います。
読み方や考え方に対して明確な解答は存在しないと言えるでしょう。
その前提で
地の文が必要ない(読み飛ばす)
という方も少なくないのではないでしょうか?
僕も作品によりますが地の文を読み飛ばすということはそこそこにある人間です。
なぜ、地の文が読み飛ばされてしまうのでしょうか?
僕が思うに
地の文が明確な意味を持っていない
という理由が大きいのかな~っと思っています。
コレは
読者側と作者側の間で認識の乖離が起きている
とも言えるかなと。
たとえば先ほどの僕の例を持ってきましょうか。
僕はふと空を見上げる。
「今日も月が綺麗だな――。そうは思わないかい?」
その場所に居るはずもない彼女に向けて、明確に、言葉を落とした。
『そうね。今日も月が綺麗だわ』
幻聴だろう。
そんな言葉が僕の耳朶を打った。
この文章を削って
「今日も月が綺麗だな――。そうは思わないかい?」
『そうね。今日も月が綺麗だわ』
こうだけ置いたとしても読者はその間に起きたことを勝手に想像できてしまいます。
(後の続く文章を読めば――という前提ですが)
全部をキッチリ読み切らなくても想像で補完するという性質が小説にはあります。
作者側もすべての情報を完璧に書き切ることは不可能ですからね。
そういった部分は読者の想像力に委ねている。
この部分は否定できません。
読者の中には物語の要点と結末だけを知りたい方が居ます
ネタバレ系がコレに相当するんじゃないかな~っと僕は思っていますね。
否定はしません。
作品の楽しみ方は人それぞれ。
そうは言っても「地の文がない小説」って「映像のない脚本」と同義じゃないですか。
コレで楽しまれちゃうと作る側としては損をした気分になりますよね。
なので、対策は必要かな~っと思います。
邪魔と言われない地の文は?
僕が思う読み飛ばされやすい地の文は
その地の文が必要性と重要性を持っていない
コレに尽きると思います。
そして、この必要性と重要性は読者によって変わったりするので実はとっても難しい。
なので、絶対に読み飛ばされない地の文は理論上不可能です。
多様性を否定することになりますからね。
ただし
説明の文章(内容)に終始しない
コレを守ることで読み飛ばされる可能性は下げることが可能です。
自分も山のように読書をするので分かるのですが
「徹頭徹尾状況説明に尽くされた文章はキツい――……」
この気持ちはよく分かります。
ライトノベルとかだと(性質上仕方が無いのですが)よく見られる光景ですよね。
特にキャラが持つ特性や能力の説明が延々と続くのはしんどいと言えましょう。
必要性も重要性もあるのですがその文章が異様に長いと飛ばしたくもなりますね。
とは言え僕も小説を作る側の人間なので説明が必要なのはよく分かります。
説明がNGなのではなくバランス感を持って執筆しましょう――と言ったところです。
・状況説明
・心情
・風景
・五感
・過去
こうした事柄を「書かされている感」を出さずに文章に表す。
口で言うのはたやすいんですけどね。
「ソレができりゃ誰も苦労はしないよ~……」
ごもっともです。
そうは言っても目指す1つの地点としてこの目標は忘れない欲しい。
知識として持っているだけでも全然違いますからね。
参考にしてみて下さい。
まとめ
いかがでしょうか?
今回は「地の文についてどう思う?」というテーマで記事を書いてみました。
読者の中には物語の要点と結末だけを知りたい方が居ます
この事実は否定できない現実です。
説明の文章(内容)に終始しない
コレを意識することで読み飛ばされる可能性を下げることは可能です。
せっかく書いた文章を読み飛ばされるのは少し悲しいですよね。
地の文と会話文のバランス感を大事にして書いてみると良いでしょう。
参考になったら嬉しいです。
ご精読ありがとうございましたっ。
ではでは~!!